そうして大人になって

気が付けばがんじがらめ。

懐かしいゲーム

ファイナルファンタジーといえば、つい最近、最もタイトル数の多いRPGとしてギネスに認定されたそうな。シリーズはいくつもあるものの、FF7(クラウドセフィロス、ティファ、エアリスが人気なあれ)から始めて、外伝的なものも含めて色々とこれまでやってきた。

そんな背景を持ちつつ、MOBIUS FINAL FANTASY(メビウスって読むけど、日本人的にはモビウスと言いたくなる)というスマホ・PCでできるゲームをする機会があって。話を進めていくと、やれ、ガーランドだ、光の戦士だ、クリスタルだ、セーラ様だと色々出てくる。同じ頃、ディシディアFFというスマホ向けのゲームが出て、その中でもウォーリアオブナイトだの、カインだのセシルだのリディアだのと、言ってしまえば、知ってる体で、「ほら、あのキャラだよ、わかるでしょ?」といった感じで出してくる。

ゲームに詳しい友人に聞いたところ、結局、自分がプレイしたことのないFF1-4までの作品に登場するキャラクターだったりストーリーだったりすることがわかって、なんだかんだFFシリーズをプレイする機会が多いしこの機会にそのシリーズも見てみるか、と思い立ったわけ。

友人からゲーム機を借りて、バーチャルコンソールと呼ばれる、要は発売当時のファミコンのゲームをそのまま3DSみたいな携帯ゲーム機でプレイできる優れものを使ってプレイすることに。(FF1-3のみ、FF4はバーチャルコンソールにないのでソフトを中古購入)

結果…… 2時間と経たずに飽きた。どのシリーズも。戦いの単調性、ストーリーの既視感、作業化するレベル上げ。進めていても「WOW」がないな、ということに気付いた。はいはい、どうせ次はこうなるんだよね、という感覚。

ゲームを楽しめる歳ってあるんだなって強く思ったなあ。あまりに小さすぎるとゲームの中に詰め込まれたギミックを楽しみきれない、でも、大人になって色々な経験(ゲームだけに限らず)を積んでしまうと、「WOW」への閾値が上がってしまって、まるで動じない、楽しめない、そんな風になってしまっているんだよね。

FF1からFF2を比べてみても、こういう不満があったから解消したんだ、とか、ちょっとここは丁寧になってるな、とか。多分、当時は「WOW」を沢山感じる作品だったんだろうなって思うんだ。だけど、もう、戻れない、というかね。寂しいね。

未来を予測する

仲良くなって、お出かけして、付き合って、それなりの期間を過ごして、そしてなにかのきっかけで別れて、悲しみに明け暮れて、また新しい人と仲良くなって。そういうのがもう、なんとなく予測できちゃうというか、この人と付き合ったらこうだろうな、というのがわかっちゃうから、なかなか付き合う気になれなくて恋人ができない。なんて友人が言っていた。

これもきっと同じ話。経験を積んで、慣れてしまった。もう同じところで同じだけの「WOW」は味わえない。

「未来を知ることができるとしたら、何を知りたい?」「何も知りたくない。だって知ってしまったらつまらないじゃない。わからないから面白いんだよ。」

そんな会話がどこかのゲームの中で繰り広げられていた気がする。確かにそうかもしれないな、って。あれもこれも予測がついてしまうとすれば、もうやる前からやった気になって、何もできなくなってしまうなって。

大人になる

そうして経験を積んであれもこれも面白くなくなって。

それだけじゃ、ない。

歳を経て、経験を経て、関わりあう人の数も増える。相手がどう思うかも、ある程度は理解できるようになる。そうなると、これはあの人が気にする、あれはあの人が気にする、って具合になる。

いろんな人を慮って、自分の内に湧き上がる言葉や、どこへもぶつける先がなくなる。もちろん、記憶に留めておくことはできるけど、言葉になっていない記憶は、呼び出すときの状態で簡単に左右してしまうから、安定しない。

こういうことを考えると、そう、攻殻機動隊の有名な引用が頭に浮かぶ。

「僕は耳と目を閉じ口を噤んだ人間になろうと考えたんだ」 「だが、ならざるべきか?」

or Should I?か…… 当分答えは出せそうにないなあ。

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