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揺れ

ちゃお。
愛しい夏は去ってしまった。あっという間でしたな。

仕事もようやく落ち着いて、仕事用のポートだけではなく、遊び用のポートも開放したら、
今度はそっちで急に忙しくなって、バランス取るの下手っぴかよ!って自分に苦笑してる。

畏怖の念で見ている友人の親友が、あるとき
「比較三原則」なんてものについてポツリとつぶやいてた。

早速検索して出てくるのは、「非核三原則」ばっかりで、誤字かとすら思ったけど、
どうやら、みうらじゅんが言っている話らしいことがわかって。
出てきたのはこれ。

読んでてグッと来たのは、
幹は同じなのに、枝葉で分かれているというか、
途中まで同じ認識なのに、その先が違くて、
しかもそれが、今の自分に明らかに足りないものだって、そう思えたこと。

例えば、幸せって相対的なものだよね、って話がある。
で、比較する対象って、認識できる範囲だから、
過去の自分、家族、友人・知り合いあたりに落ち着く。

それを絶対避け得ないから、
比較できないように際を目指す、普通ならありえない組み合わせを取る、
言わば奇をてらうというか、そういう風にして、
自分をどうにかこうにか守ってきていたのだけど。

それに対して真っ向から、比較しない、その三方とは比較しない、
そう言うんだよね。
なんだか、ガツンと頭を殴られた気分だった。

自然体の話もそう。
相手に気を使うこと、それは確かに一時的にはできるかもしれないけど、
どうしたってどこかで無理が生じて、ほつれる。
だから、常に自然体を目指す、そういう形でやってきたし、
それもそこそこ落ち着きつつある。
そんで、それのおかげで得ているものもある一方で、失っているものもあるという自覚すらある。

そしたらそこで、自然体なんてダメ、やっぱ不自然体だよね、
好かれたいなら気を使ってなんぼ、みたいな話が出る。

かつて読んだ森博嗣の書籍でこんな一節があった。

「人間の最も弱い部分とは、他人に干渉を受けたいという感情だ。(中略)人に好かれたいと思う感情が、通常、その人間の内部の思考領域を限定する。その感情こそが自由を奪うのだ。」

これを読んだ当時、いたくこれに共感した。
それで、思考の自由が奪われて、やがて思考が止まった時、
それは精神的な死を意味するんじゃないか、そんなのは嫌だ、そうはなりたくない。
そう強く思っていたと思う。

ところが、ここに来てそれとは正反対の方向をまた覗いてみたくなっている。
要するに、不安なのだろうね。

歴史の偉人の言葉で言えば、
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という話。
久しぶりに、考えたい、という気持ちになった。ひょっとしたらチャンスかもね。
歳を重ねるごとに、自分というものが揺らぎうることに手を出せる機会は
どんどん減っていく、そう思うから、まさに、チャンスなんだろうな。

とりあえず、みうらじゅんを読み込んで考える。
本って、凄いな。あはは。

今日はここまで。おしまい。=^._.^=

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