内なる鏡

はろ〜

仕事が一段落して、
最近は私生活に余裕があっていい感じです。
あー、こういう感じが大事なんだな、みたいな。

昨日は、静岡での職を捨てて、
地元に戻ってきた仲間と楽しげなダイニングバーへ。
色々な話をしたのだけれど、そこで一つ引っかかったことが。

その彼が転職先として考えていたある会社があって、
そこに決めた動機について、俺は正直不安を感じていたの。
少し考えた方がいい、そう伝えようか、迷った。
迷って、結果として、言うのは、止めた。
なんでって、本人はやる気なのに、外野からとやかく言って
本人のやる気を削ぐなんてするべきじゃないと思ったから。

結果として彼は、別の会社に入ることにしたみたいで、
それもあって、そのときのことを彼と話した。
すると、「なんだよ、言えよ!お前も丸くなっちまったな〜」という反応。
「お前まで丸くなっちまってどうすんだよ」と、一緒にいた別の友人も。

改めてそこで、あー、そうか、
周りにいる人と自分の違うところは、そう言えば、
相手が誰だろうと、相手がどう思おうと、
思ったことはまっすぐに伝える、自分を曲げない、
そういうやつ、なんだったな、って。

勿論それは、いい場面、悪い場面があって、
特に、仕事みたいに、我を出すべきところでないときには避けるべきなんだろうけど、
そういう、社会性みたいなものをちょっとずつ身に付けて、
「自分らしさ」みたいなものの角がとれてきているのだなあ、と。

一定の頻度で、友人が自分に相談を持ち掛けてくることがあるのも、
こいつなら人が嫌がることでも言ってくれる、率直な意見が聞ける、
そういう期待があったこと、すっかり忘れていた。
なんだか、大事なことを思い出せて、よかったな、って。

 

ただ、それとは同時に、変わらなきゃいけないなと強く感じるのは、
自分にとって価値のないもので、人にとって価値のあるものを、
凄いね、いいものだね、って思ったり合わせたり出来ないということ。

自分はこうだから、って割り切るのはいいんだけど、そういうところが
いつまでも変わってないなあって。
勿論、理由の一部はわかっていて、
要は、自分と関係ないって切り離したものが高い価値を持っていると
多分、自分が何かを損ねたような感覚になるからなんだろうなあ、って。
そこまでわかっているのだから、手を打てればいいのだけれど。
共感性が低すぎることは、課題だな...。

定期的に会っている人と話すと、こうやって、なんというか、
自分を振り返ることができるのがいいね。
こういう思考をする時間が、とても好き。

今日はこの辺で。
Bye.

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