穏やかに朽ちて

 今日、なんでだろうな、不意に行き、帰り、考えてた。
やっぱ悲しいなとか、状況に合うような歌を自分で選曲しては
鼻歌交じりで歩いたりして。
それから、なんだろう、不意に、気付いた。

違うな、気付いたと言うより、俺から見た一番納得の行く答えに辿り着いた。
実際のところは、誰にも(比喩ではなく、本人自身にすら)わからない。
だから、こう認識することにする。

そう、端的に言って
窮屈だったのだと思う。俺という存在が。
これまで経験してきたことから身を守るために、
自分自身を納得させるために、
ひたすらに重ねてきた論理の数々。

そして、経験から思わず求めた
安定と幸せ。

こういうものが、ずっと窮屈だったのだと思う。
窮屈だけれど耐えられないほどではない。
言ってみれば少し遅目に設定された門限のようなものかもしれない。

やりたいこと、や
価値観の不一致、
彼女が挙げた理由の数々は、あくまで後から自身を納得させるために
目下にあるものを使って積み上げただけのものだと思う。
勿論、全て嘘とは言わないとしても、虚構混じりだと、そう思う。

ずっとなんとなく窮屈で、
そこから抜け出す鍵を探していた。
そこに、やりたいことっていうものが飛び込んで
だから、すかさず跳び付いた。

そういうことなんじゃ、ないかな?

まともなコミュニケーションもままならなかった3年前から、
月日が経つにつれて彼女の中でも基礎が固まって
そこで初めて、自分の状況が評価できるようになって。
そのとき、不意に周りにある囲いに気付いたんだろうなって。

基礎を十分に固めて、応用はまだしていない。
そういう意味で、誰色にも染まっていない、
凄くいい状態だと思う。

そんな彼女を責めるのは、容易い。
もしかしたら、もう、新しいパートナすら見つけているかもしれない。

けれど、それらは全て最後の藁で。
目に見える理由群は、そういったものかもしれないけれど、
深層心理として、抱えていたものがあったのだと、そう思うよ。

理由というのは便利で、
真相と程遠くても、観察できる事項から、創り上げることが出来る。
しかも、それを真実だと本当に認識すれば、
それはその人にとって真実だろうとも。

言いたいことも沢山あった、
やりたいことに対してのアドバイスも、沢山出来るだろう。
けど、違うんだ。

俺という存在、その窮屈さから自由になることが本当に求めていたこと。
だから、やりたいこともいずれ道半ばで投げ出すだろうね。
あれだけ不確実性が高くてふわふわしてるんだもの。
それじゃあ、不幸せになってしまうのではないかって心配だったけど、
きっと彼女は、幸せになる。

いい人を無事見つけて、そのときには
喜んで手にしているものを投げ出すだろうね。
そしてその人は、勿論、俺ではない。


気付くのが、遅すぎたな、と思う。
気付いたときにはもう、ね。
何一つ思い通りになんてならない、
そんな当たり前のことを忘れていたかもね。
全て、controlableにしたがっていたから。

こうして書き溜めて、
過去の自分と向き合って
今の自分と対話して
未来の自分にみせてやっているのだと、
そう思う。

明日は、こんな取り留めのない話を
聞いてくれるという友人と一緒。
そういう存在があるだけで有り難いことだね。
少しだけ、この荷物を預かってもらおうかな、なんて。

彼女は言った。
認識すればなんでも出来ると思っているのか、と。

その答えはこうだ。
認識しなければなにも出来ないじゃないか、と。

俺は少なくともこう、認識する。
事実は、確かめても仕方がないし、確かめることもできないだろうね。
それで、いいと思う。

最後に言えるとすれば、
ありがとう、さよならいつか、ってね。
Remove all ads