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変数と生き方と

 めっきり寒くなったね。
久しぶりにばあちゃんに電話したら、声が今にも死にそうで。
実際には死にそうだったのは声だけで、要するに喉の風邪らしい(かくいう俺も)。

存在に感謝はしているものの、
そんなに大事にしているようには思っていなかったはずなのだけれど、
1週間も声が治らなくてね‥なんて聞いた時には、おいおい、大丈夫かよ、しっかりしてくれよ!(元気でいてくれってことね)
なんて自然に考えていて、なんだよ、案外に大事に思って心配とかしてるんだ、と不意に自分の心の隙間を垣間見ることに。

ところで、最近お皿を洗います。
食事も、用意してもらうのを待つのではなく、もはや自分で調理して食するように。(前はこれが当たり前だったのだがいつからか待つようになっていたなあ)
お皿は実は心地よい気持ちでやっていたのではなく、内側で(それほどまでではなくとも、少なくとも、「あいつは全然家事をやらないんだよ~」と友人に冗談半分に言うほどには)不快に思っていたということを知ったのがきっかけ。

そういう気持ちでやっているとするなら、そこに期待はしないし、自分で出来るからやる。
やってくれたら楽だな~、感謝しなくちゃというモードから一つ引いた段階へと。

食事も同じ。家に帰ってきてさらに作るだなんて面倒くさいんだぜ、と冗談交じりで言っていたそうな。
それならそうと言ってくれればいいのになあ、と。そういう気持ちなら自分でやる。
上と同じこと。

後は、朝なんかは彼の起きる時間が遅くて作らずに行ってしまうこともあるので、食べれるかどうかがわからないというその変動性が自分にはどうも。

正しく言えば、この辺は最近思ったのではなくて、以前から思っていたことが不意に頭に言葉として浮かんできたから書きたくなっただけなのだけれど。
それについて別に不満があるわけでもないし、それはそれで、ただ依存度が下がったというだけで。


これに限らずだけど、同性異性に拘らず人付き合い、そして自身の生き方として、変数を減らしたいというのは以前から凄くある。
一つのものに依ると、それが揺れ動いた時の影響が大きくなって、自身の変動性(ボラティリティという語の方がしっくりくる。勉強のし過ぎか)が増す。
俺はそういうのが、あまり好きではない。変化を嫌うというか。

だから、確実に期待できるもの以外には極力期待をしないようにしているのかもしれないな、とも。
こういう生き方をすると人付き合いは確実に悪くなるから、そういう意味では生きづらくなるかもしれないけれどね。

よく、変わり映えのない日常の連続なんてつまらない。変化のない毎日に飽き飽きだ。
リスクを取って、大きなリターンを!

って声高に叫ぶ人をここのところよく見かける。

合わないなあ、そういう生き方。
変わり映えのない毎日。その中の小さな変化に気付けるような生き方。
小さな幸せに満足できる、そういう生き方。

いいじゃないか。
そう、思わない?

人は人。勿論、俺は生きたいように生きるけれども。

よし!やるだけ!
Bye.
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