Subscribed unsubscribe Subscribe Subscribe

別れの言葉

 事が起こったのはつい3日前の夜。
共通の友人からの電話で、親しい友人の死を知りました。
次の日が通夜で、そして昨日が告別式。

幸い、遺族の方の意向で、火葬場まで一緒に行かせてもらえただけでなく、収骨までさせてもらえた。
個人的なつながりは高校の頃が一番強くて、あの頃最も仲の良かった二人組だったと思ってる。
それから時間が経って、個人的なつながりは段々と少なくなって(その理由の一つには、俺の引越しというのがありそうね)、あとは時々フットサルを一緒にやるくらいだったかな。

部活~ずっと、フットサルを一緒にやってきた(彼は本当にうまかった。体力はなかったけどw)ということもあって、収骨の時にたまたま下半身の骨を拾うことが出来たのは幸いでした。

嬉しいことに(この表現が適切かは不明)、彼の亡くなった日が俺の誕生日だということも式典中に判明。
あれには衝撃を受けた。
「お前、忘れんなよ?!俺が毎年誕生日祝ってやっから!」
なんて言われてるような。

遺族の方は、「たまには思い出してやって下さい」って言われたけど、
高校時代を思い返せば、彼女といたか図書館で過ごしていたか、もしくは彼と過ごしていたか、で、どう考えたって忘れることなど無理だろうなって。
だから、心の中でそっと、「たまには忘れることがあるかもしれないけど、許して下さい」って言い返してた。

友達は、誰にだってやり残したことはあるもんだと言っていたし、俺自身それはよくわかっているのだけれど、
彼の誕生日の時(今月上旬だった)に、FBにコメントなんて簡素なモノじゃなくて、電話の一つくらいかけてやればよかったななんていうのは本当に後悔。

正直に言えば、この数年、彼は働き始めて、俺は学生で、見ることやることまるで違うからか、価値観の変化を感じていて。
そのせいか、高校の頃と全く同じような親しみは感じていなかった。
だから、優先順位とでも言ったらいいのか、接する頻度やら気の使い方やら、少し遠くなってしまっていた気がするし、そういった小さいことの積み重ねが彼を追いやっていたのかもしれない、とも。
勿論、これは自意識過剰とでもいうか、考え過ぎというのはありそうだけれど。

元々、内に秘めるタイプで、周りを気遣う一方で、自分への気遣いが疎かな奴だったけど、まさかそこまで‥なんていう、月並みに多くの人が思うことしか思えなかった。
親友と友人の間に隔てる、時間と距離というものはあまりに大きい。

ただ、彼のおかげで一つ気付けたことがあった。
これはフィリピンで習った英語で、"Keep in touch"というのがある。
直訳で触れ続ける。意味は、連絡を(定期的に)取り続ける、ということ。
このことが如何に重要か、気付いた。

きっと俺だけじゃなく、バカ話をする相手というのは徐々に減っていて、所謂ヒマ電(暇だから電話した~、というやつ)もなくなっていって、簡単に自分のことをさらけ出す場が減っただけじゃなく、悲しいことを笑い飛ばす場が減ったような気がする。

「なんかあったらいつでも気軽に連絡して」
これじゃだめなんだ、って。
なんかあったとしても、これくらい‥なんて思ったり、迷惑かけたくない、なんて思ったり、やっぱり色々考えちゃって、内に秘めてしまうことは絶対に多い。

だから、"Keep in touch."
「なにかあるといけないからいつでも気軽に連絡する」
本当に大事な、失くしたくない人だけでいいから、それは必要なんだと思う。

「元気?」
「ああ、元気だよ。どうしたの?なんかあった?!」
「いや、元気かなーって」
「あ、用ないの?じゃあ忙しいから切るよ、またね」
「ん、バイバイ~」
これを無駄だと感じるくらいには、きっと俺らは大人になって、忙しくなった。
でもきっと、これは無駄じゃない。
これで救える命があるかもしれないのだから、ね。

彼の分も、フットサル、頑張ろう。勉強、頑張ろう。生きること、頑張ろう。
そう思うよ。


ぎんじ、また、どこかで。

ウニより
Remove all ads