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「論理と感情と」を超えて

 はろー!
今月はなんだか、随分とあれこれしてるし、予定もいっぱいで不思議な気分です。
内定式で、同期凄すぎ(英語出来る人多すぎ‥)て、うわーってなったり、
ゼミ募集の説明会で、もう交代なのか、なんてちょっと驚いたり、
高校の恩師に会いに行って、印籠(比喩、文脈としては会計士の資格)を出さずに生きることを選んだのならそれをしっかりと貫き、また、たとえ自分が意見を持っていても、一先ず最低限のことはやってから文句を言う、っていう社会人20年超の経験を持った人ならではの助言を貰ったり(その中で、横浜の「尾っぽや」が落ち着いてていい店だという話も聞いたw)。

まだ月が始まったばかりなのに、もうこんな。
それに、これから会合(という名の飲み会)5件に、先輩社員主催の懇親会、そして同窓会。
お金もそうだけど、そもそも月に1~2回程度しか飲み会に参加しない身なのになんだか凄いことに(笑)

お土産渡す、とか、違う国で感じたことを共有する、とか、目的は色々なんだけれど、たまにはこういう月があってもいいかな、って。
強いて言えば、卒論を進めるのに、集中できる時間がないのが問題、かなw

それはそうと、表題の件!
前にこんなの書きました。
結局基本は論理>感情、っしょ、的な。

でも、ついこないだ英語と日本語についても書いた。
前は、論理と感情を標準語とローカル語(方言)に例えたけど、これって実は英語と日本語でもいけるなって。

そして、自分がいざ、日本語は流暢だが英語には疎い、という所謂弱い立場になってみて‥
論理第一主義、とでも読んだらいいのかな、人に論理を強要する姿勢が如何に厳しく、時に人を辛くさせているのか、がわかった気がする。

同様の喩えに、IFRSとローカルの会計基準もあると思う。
みんなが使うから、ってIFRSを使う国や企業も多くはなりつつあるけど、やっぱりある視点から見たときに欠点に見えるものを抱えていることはあるし、これまで使ってきたローカル基準が満足いく水準であれば、それを採用したいとは思わないはず。
勿論、これから開発していこう、と思っていたところはラッキーで、流れに乗って初めからIFRSにすればいいのだけれど。

つまり、結局何が言いたいかって、
論理は、感情を補完する役割のものとして使うべきなんじゃないかってこと。
もっと一般化していえば、標準的なものは、個別的な・独自的なものを補完する形で使うべきなんじゃないか、ってこと。

勿論、具体的な方法はそれぞれのケースによって異なるだろうし、そもそもそんなこと出来ない、なんてこともあるかもしれない。
標準化を推し進めることが結果的にプラスになる局面もあるかもしれない。

けど、少なくとも、心情、語学、会計基準について(って同じ粒度じゃないものが並んでるけどw)についてはそう言えると思うんだ。

こう考えることが徐々にでも出来るようになったのは、間違いなく、自分が弱い立場になった、つまり語学留学のおかげ。
自分にとっては、英語運用能力云々にも増して、これに気付けたって意味で行ってよかったな、って思ってる。

感情と論理と、を超えて、一皮剥けた、かな?

よし!やるだけ!
Bye.
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