IMO

 珍しい!3日続けて更新だなんて!!
書きたいことがあるときはそんなもん。笑

ところで、IMO、なんの略かご存知?
これは英語圏のチャットで時々使われる略語表現で、
In My Opinionの略なんだ。
あくまでも、私の意見ですが‥
と前置きすることでクッションを一枚挟む。

でもね、これについて
「本当に」あくまで私の意見‥って思っている人と
そうでない人がいるっていうこと。

何を今更、そんな当たり前のことを。
と思うかも知れないけれど!

友人とついった上である会話をしたのだけれど、
そこで凄く、どうでもいいし、もうこの人とは議論はしたくない
って気持ちになった。

それはなぜかって、
「自分が正しい」という前提で話を進めているから。
それが特に現れているのは最後の返し。
書き方や話し方が悪いんじゃ‥
つまり、自分側の読み取り方や聞き方に問題があるとは考えないのね。
この、自分が正しいという考え方するやつ、
身近で一人知ってる。
他でもない、この俺だ。

それを久しぶりに、正面から客観視した。
抱く感想は、面倒臭い、に尽きる。
自分が正しいという前提はある面とても正しくて、
そうじゃなければ、そもそもその主張をするのは何故?
という話になるからいいのだけれど。

ただ、その確かさ、確証度が高すぎると
相当に喧々諤々やらないといけなくなるね。
自分がとても大切にしたいと思う何かに関して以外の
些末なことにまで確証度高く臨むと、
はいはい、わかったよ、そうだね、もういいから。
となることが、よくわかった。

要するに、自分が正しいという前提は
話し合いをする素地を持たないというか
話し合いをする意味を持たないんだよね。
既に正しいから。それで十分なんだもの。
(勿論会話の中で、
より良いものがあればそれに考え方を改めたいと言っているけれど
これは俺も同じ事を考えていて‥
あくまでも、正しさを論駁出来るなら、という条件付きなのよね‥)

生きていく上では
恐らく、自分が正しいという前提で考えた方が
一定水準で満足出来て、
いつまでもより良いものを求め続けるような事態にも陥らないで済む。
この点では凄く良いよね。

でも他方で、人と関わるときには
自分が正しいという前提では基本的に付き合いづらいと思う。
というか、少なくとも楽しい付き合いには向かない、かなって。

理想的中庸って言葉がある。
要するにバランスが大事ってことだけれど。
難しいね、自分の正しさに対して持つ確証度‥
低すぎても、高すぎてもうまくいかない。

あれもこれも、そうか。
一方に偏りすぎればうまく行かない事って多いよね。
でも、バランスをとり続けるのが難しいことも、よくわかる。
うまく使い分けたりしながら理想的中庸を目指したいな。

よし!やるだけ!
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