今は凪、

 志は同じー‥
GLAYのあの曲のタイトルがすぐに浮かんだら、さすがです。

今日は応用情報処理技術者試験でした。
結果は、多分合格かな。
午後の問題は選択問題なんだけど、
選ばなくちゃいけない数と、自分が解ける(わかる)問題の数が
同じ数でちょっとだけ焦ったけど。

試験会場が永山で、
帰り道、駅に向かっていたら
永山学園祭っていうの、やってたよ!
どういうのかはよくわからなかったけど、
俺が言った時には、実践女子大学の人たちが
となりのトトロ演奏してた。

試験中はさ、なんだか遠くで喧しいなー‥
なんて思ってたのに、
いざ近くを通ったら、
立ち止まってちゃんと聞いちゃったり、ね。

吹奏楽を含め、
そういった感性に訴えるような、云わば芸術ってもの。
いつも、無価値だな、って思っていて、
例えば高校とか、大学くらいの
大切な時期をそれに費やすなんて、本当に勿体ない、
お金になんかなりやしないし、何も得られないのに、
ってよく考えていた。

だけど、今日聞いていた瞬間には
もっと聞きたいって思ったし、
格好良いって思ったし、
素敵だなって思ったよ。
それに、何故か聞いてたら泣きたくなった。なんでだろ。
こういうの、とても混乱する。

その後、凄く気持ちが凪いで
何もかも赦せる様な気持ちになった。
何を見ても微笑ましいな、と思えたり。
時々、そういう気持ちにふいになるんだよなあ。
本当に不思議。

それから帰り道にふと考えていたんだ。
誕生日とか、記念日とか、
無意味で無価値だって考えている(と自分では思っている)のに、
祝われて嬉しいと感じたり、
祝ってほしいと思う相手から祝ってもらえなかったら少し寂しかったりして、
これもまた、不思議だなって。

いつも、自分のことを
凄く哲学的で一貫した考え方を持っている、
そういう風に評価していたんだけど‥
もしかしたら、もしかしたらだけどね?
自分を正当化してるだけなのかもしれないって思ったんだ。

自分が持っているものを肯定し、高く評価し
自分が手に入れられそうにないものを否定し、低く評価する。
それをただ、理屈をこねくり回してやってるだけなのかもな、って。

例えば、誕生日とか記念日だって、
もしかしたら祝われないかもしれない、とか
相手の望みどおりに祝ってあげることができないかもしれない、
っていう期待ギャップとか不安とかがあって
それを取り除くために、考え方を変えただけなのじゃないだろうか。

それを、哲学という名で包んで
隠して、正当化しているような。
勿論、自己防衛のためなんだろうから、
決しておかしい行動ではないのだけれど。

不安を恐れて、安定を極度に求めるような生き方。
そういう風に見える。
何から逃げてるのかな。何を恐れてるんだろう。

今、凄く安全な場所にいるから
この牙城をわざわざ切り崩して、
立て直すなんて、
簡単にできる話じゃないよね。
だからきっと、このまま変わらないし、変われないんだろうな。

今日も、待ち人は、来ず。

少し、しんみりしちゃったので、
今日はこの辺で!
おぴまい。
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