至高の

 理由はない。人生について考えてみた。
自分が最後に(なにをもって最後かは曖昧だが)なにをしたいのか、目的が明確になった。
勿論、現時点で‥って話ではあるけど、忘れないように書き溜めておくことにする。

今の時点で、とても楽しいと思えることは、単純に楽しいというだけなら、遊ぶや本を読むがこれに値する。
でも、知的に楽しいと、満たされたような気持ちになる楽しさは、なにかを深く学ぶことだったりする。
つまり、誰かに与えられた知識を換言し、深く練り、繋ぎ合わせ、別のなにかにし、自分の中に蓄える。
例えば、経理研で金融会計に関して学び、テキストに沿って学習をする。そこから、DES(debt equity swap)を知り、さらにDDS(debt debt swap)を知る。そして、そのDDSが許される理由を知る。その理由は実は、民法等で規定されている債権の回収順序に則ったものだと結びつける。これは、経理研で学ぶことと金融論の講義と民法の規則と探し出す意欲と興味がなければ結びつくことのなかったものだ。

既に誰かは知っていることだと思う。
でも、その事実を紙の上から一段上がって、自分の知識として血肉に出来たということは大きい。
これがなによりも楽しいことだと感じる。

とすれば、考えることはなにもない。
それが出来る環境を目指せばいい。
ただ、一つのことを例えば1日、1か月、1年かけて考える。
それを今したとすれば、怠けているとされたり、社会的不適任者の烙印をされることになる。
烙印をされること自体は構わない。ただ、困るのはその先。
つまり、会計士になることは、何かを学ぶ機会の提供に値する。
可能性を広げることになる。そして、金銭的に優位になることも確か。

俺は至高の研究者になりたい。
自ら、誰にも邪魔されずにひたすら研究を重ねる時間を持てるような。
だけど、その研究が社会に役立つものでなければお金にはならない。が、そもそも研究をするのは自分がしたいと思うことであって、社会に役立つかどうかは想定してない‥つまり生活に困る。
生活に困れば、それだけ研究に支障が出る。
また、研究をするためにはそれに必要な資料の収集がある。
とすれば、資料収集をそもそも現段階ではできることに限りがある。
そして、なにかとなにかを結び付けるという、考える過程で重要なものは、そもそもそのなにかを自分が知らなければ結びつけることはできないし、結びつけの可能性は沢山あった方がいいのだから、なにかを学んだ後でなければならない。それに、現段階では、その研究対象にしたいと思えるほど悩み考えたいことがわからない。

だからこそ、一定の人脈や関係を築き、富を築き、そして、前線から立ち退いたとき、研究に没頭できるよう、今努力をする。悩みの種を見つけ、解決をできるようにするため。
そう、人生の目標。(よりよい家庭を築く、も実は目標ではあるが、これは他人の存在が前提であるため、単独で成し得る目標として)

笑ってくれても構わない。
ただ、幸せは他人が決めたり測ったりすることはできず、本人自身がそれを定義し決めるものだと思う。
とすれば、これ以上の幸せはない。

うん、いいな。なんか目標が決まるっていい。
頑張ろうって思ったわ。ああ、楽しくなってきたぜ。

まとめ:

現在→会計士(知識を結び付けるための知識とお金の獲得)→?→研究者(自らの満足のみのために研究をする者)
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