1日1コミット、が楽しい

ご無沙汰してる。最近英語でブログとか書こうかな〜なんて思ったりする。特に意味はないけど。

それはそうと、一定の技術者の間で、GitHubに1日1コミットし続けて、365日続ける、みたいな取り組みがあったりする。結構関心を持って、最近やり始めた。(現在3日目とかかな?)

でね、これが、面白いんだ。どう面白いって、毎日最小でもいいから時間をとってコミットしようとする。時間が全然取れない日なんて、技術ブログのプロフィールを直すとかそんなのだったり。

だけど、やってると、じゃあどうせならこれも直そうか、これはどうしたっけ?なんて、次から次に色々出てくる。でも、一方で、明日もやるからな、なんて考えて、無理せず一定量で留めて、残りはメモしてその日の分を終える。

これ、凄く、いいなと思った。努力なしには続けられないけど、無理のない範囲。しばらく続けてみようと思う。

最近、人と話す時間が沢山あってブログに書くことがあまりないみたいだ。またぼちぼちと更新する。

それでは、今日はこの辺で。

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そうして大人になって

気が付けばがんじがらめ。

懐かしいゲーム

ファイナルファンタジーといえば、つい最近、最もタイトル数の多いRPGとしてギネスに認定されたそうな。シリーズはいくつもあるものの、FF7(クラウドセフィロス、ティファ、エアリスが人気なあれ)から始めて、外伝的なものも含めて色々とこれまでやってきた。

そんな背景を持ちつつ、MOBIUS FINAL FANTASY(メビウスって読むけど、日本人的にはモビウスと言いたくなる)というスマホ・PCでできるゲームをする機会があって。話を進めていくと、やれ、ガーランドだ、光の戦士だ、クリスタルだ、セーラ様だと色々出てくる。同じ頃、ディシディアFFというスマホ向けのゲームが出て、その中でもウォーリアオブナイトだの、カインだのセシルだのリディアだのと、言ってしまえば、知ってる体で、「ほら、あのキャラだよ、わかるでしょ?」といった感じで出してくる。

ゲームに詳しい友人に聞いたところ、結局、自分がプレイしたことのないFF1-4までの作品に登場するキャラクターだったりストーリーだったりすることがわかって、なんだかんだFFシリーズをプレイする機会が多いしこの機会にそのシリーズも見てみるか、と思い立ったわけ。

友人からゲーム機を借りて、バーチャルコンソールと呼ばれる、要は発売当時のファミコンのゲームをそのまま3DSみたいな携帯ゲーム機でプレイできる優れものを使ってプレイすることに。(FF1-3のみ、FF4はバーチャルコンソールにないのでソフトを中古購入)

結果…… 2時間と経たずに飽きた。どのシリーズも。戦いの単調性、ストーリーの既視感、作業化するレベル上げ。進めていても「WOW」がないな、ということに気付いた。はいはい、どうせ次はこうなるんだよね、という感覚。

ゲームを楽しめる歳ってあるんだなって強く思ったなあ。あまりに小さすぎるとゲームの中に詰め込まれたギミックを楽しみきれない、でも、大人になって色々な経験(ゲームだけに限らず)を積んでしまうと、「WOW」への閾値が上がってしまって、まるで動じない、楽しめない、そんな風になってしまっているんだよね。

FF1からFF2を比べてみても、こういう不満があったから解消したんだ、とか、ちょっとここは丁寧になってるな、とか。多分、当時は「WOW」を沢山感じる作品だったんだろうなって思うんだ。だけど、もう、戻れない、というかね。寂しいね。

未来を予測する

仲良くなって、お出かけして、付き合って、それなりの期間を過ごして、そしてなにかのきっかけで別れて、悲しみに明け暮れて、また新しい人と仲良くなって。そういうのがもう、なんとなく予測できちゃうというか、この人と付き合ったらこうだろうな、というのがわかっちゃうから、なかなか付き合う気になれなくて恋人ができない。なんて友人が言っていた。

これもきっと同じ話。経験を積んで、慣れてしまった。もう同じところで同じだけの「WOW」は味わえない。

「未来を知ることができるとしたら、何を知りたい?」「何も知りたくない。だって知ってしまったらつまらないじゃない。わからないから面白いんだよ。」

そんな会話がどこかのゲームの中で繰り広げられていた気がする。確かにそうかもしれないな、って。あれもこれも予測がついてしまうとすれば、もうやる前からやった気になって、何もできなくなってしまうなって。

大人になる

そうして経験を積んであれもこれも面白くなくなって。

それだけじゃ、ない。

歳を経て、経験を経て、関わりあう人の数も増える。相手がどう思うかも、ある程度は理解できるようになる。そうなると、これはあの人が気にする、あれはあの人が気にする、って具合になる。

いろんな人を慮って、自分の内に湧き上がる言葉や、どこへもぶつける先がなくなる。もちろん、記憶に留めておくことはできるけど、言葉になっていない記憶は、呼び出すときの状態で簡単に左右してしまうから、安定しない。

こういうことを考えると、そう、攻殻機動隊の有名な引用が頭に浮かぶ。

「僕は耳と目を閉じ口を噤んだ人間になろうと考えたんだ」 「だが、ならざるべきか?」

or Should I?か…… 当分答えは出せそうにないなあ。

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2月読了本まとめ

sth to drink! :P - 2017年02月 (2作品)
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また今月もほとんど読まなかった、と思ったら一応2冊眺めていた様子。最近は技術的なWeb上の記事を読むことが圧倒的に増えた。さもなければ、過去に学んだ内容を再訪したり。

そうなると、自身の学習量のバロメーターとしてかつて使われていた読了数はまるで役に立たなくなってしまい、かといってじゃあどういう代替手段があるかも思いつかずという現状。3月分あたりを区切りに、今後は四半期に一度くらいでいいのかも。そうなると、今度は直近で読んだ本と、2か月前に読んだ本とでは、頭に残っている印象が大きく違うのでそれもどうかと思うけれど。

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言葉にしてみたら

突然の質問

「今の場所で満足してる?ちゃんと理解・評価されていないのでは?」

突然、自社の営業から来た連絡。新しい部署の設立に絡んで、よく連携する営業からメールが飛んできた。今の部署の所属長がこれまでやってきた仕事の進め方と、今の部署で自分たちがやっている仕事は大きく違っているのが現状。但し、そういう特殊な事情なのは自分を含め部署内では2名のみ。こんな状況を知っていた人ならではの質問。

部署設立に際し人を集めたいらしい。そこで、声掛けの一環として話をもらった様子。行きたいといえば交渉の舞台に名前を上げることになるそうな。

しばらく考えた結果、返したのは、「理解はされていない、でも高くは評価されている。そういう状況。高く評価されていて、自分が面白いと思える仕事をできているうちはどこで働くとか関心ない。異動するのがどうかという点ではニュートラル。」と。正直、後半の部分は相手への気遣いで、行ってもいいよ、と提示した形で、正直なところ、別に高く評価されなくなりそうな風潮が見えてから異動したって言いわけなので、実はややネガティブなのだけど。

改めて思い返す

その時に答えた、高く評価されているうちはどこでもいい、という考え。少し考えたうちに、パッと頭に浮かんだ程度のものだけど、凄く腑に落ちた。

これは転職について考える際にも同じことが言えそうだな、と。高く評価される・されないは雑にわければ4パターン。

  1. 自分もいい仕事をしていると思うし、実際に高く評価されている
  2. 自分はいい仕事をしていると思うが、実際は低く評価されている
  3. 自分はいい仕事をできていないと思うが、実際は高く評価されている
  4. 自分はいい仕事をできていないし、実際に低く評価されている

このパターンでいくと、2のときは場所を変えるタイミングだな、と。

1なら続ければOK、3なら高く評価されているうちに実力を追いつかせるしかない、4は実力をつけるのはもちろんのこと、評価者等に相談してみるであるとか弱者らしい振る舞いをすることで地道に上げるのが良さそう。

これだけで考えると、もっと高みを目指すとき、どういう基準で会社を変えたらいいのか、みたいな話はこぼれてしまうので、適用できるのは限定的な場面になるかも知れないけれど。

一度、その営業からの声掛けをきっかけに、言葉にしてみたら、それが、あたかも前から思っていたかのように飲み会やちょっとした会話の場でも口から出るようになって、こうして身になっていくのだななんて、我ながらおかしかった。 ひとまず、今は、上のパターンでいけば1の状態。実りのある内に次に備えて、こういう状態を続けたいね。

今日はここまで。それではまた。

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1月読了本まとめ

sth to drink! :P - 2017年01月 (2作品)
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自分では滅多に借りないような書籍が自宅にあったので読んでみた、というのが1月の内容。

個人的に期待を裏切られたのは、新しい書籍ほど、近年のトレンドを取り入れている、というわけではなかったということ。

読んだ書籍はそれぞれ2012年、2016年に出たものだけれど、2016年のものの方が捉え方が昔ながらというか、若い人たちの傾向は捉えられていないような印象を受けた。

結局、著者が普段どういう人たちと共に過ごしていて、どういったバックグラウンドか、に依存しているという、当たり前の事実に落ち着くのだな、というのは発見。

書籍から新しく何かを得るフェーズを過ぎてしまったので、なかなか読了数は伸びないけれど、これからも細々と。再読記録をBooklogが簡単に出力できるようになればいいのだけれど。

それではまた。

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